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  • 児童の安否不明
    救護所は医師・薬品不足

    (六日夜)
◇国民学校◇

上半身に正面から熱線を浴び保護所で死を待つ女学生(六日または七日、場所不明、陸軍船舶司令部写真部・尾糠政美さん撮影)
 市内の国民学校のうち多数の校舎が全焼、倒壊した。市中心部で建物疎開や勤労奉仕をしていた児童・生徒らも多数いるとみられるが、安否は全くつかめていない。焼失・損壊を免れた学校には、負傷者が続々と押しかけている。しかし、医師や看護婦のほか医薬品が不足している。

 南観音町二丁目の第二国民学校には、昼過ぎまでに約千人が詰めかけた。木造二階建て校舎の二階部分は潰れているが、ほかの教室や講堂、さらに校庭には座り込んだり横たわるけが人でいっぱいだ。

 ほとんどの人の服は引き裂かれぼろぼろ、髪はパーマをかけたように焼けて縮れている。顔がどす黒く二倍ぐらいに膨れ上がり区別のつかない人や、火傷で皮膚がむけた人も。比較的症状の軽い教諭らは手当てに追われている。

 同国民学校の一部の生徒らは、舟入南町の製缶工揚へ勤労奉仕に出かけていた。引率していた高野鼎教諭(40)は「ものすごい音と共に屋根が落ちて、目の前が真っ暗になった。私たちは無事だったが建物疎開の生徒の情報が全く入らない。一体何が起こったんだ」と悲鳴まじり。「とにかく薬がほしい。今はこんなものしかない」と、あり合わせの食物油を脱脂綿につけて塗って歩いていた。

 矢賀国民学校には、新型爆弾投下の約三十分後から負傷者が避難している。学校関係者らが衛生室から赤チンやオキシフルを持ち出し、応急手当てしている。しかし、負傷者は増えるばかりで、医薬品はすぐに底をついた。地元の警防団員が機械用油などをかき集め、火傷の患者に塗っている。

 比治山国民学校も負傷者であふれている。町内会の役員らが、備蓄の医薬品で手当てしているが、手の施しようのない重体の人も多い。県警察部に向かう途中に立ち寄り、救護活動に加わった近くの和田恒利巡査部長(28)は「講堂を開放すると、すぐにいっぱいになった。大半の人は治療を訴える力もない」と話している。
 
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