ヒロシマ新聞トップ > 終わらぬ被害 止まらぬ核開発競争[記事]
  • 川本隆史・東京大大学院教授に聞く
    「原爆神話」超える努力を 記憶にもケア必要

 米国では今も「原爆投下は必要不可欠だった」との認識が広く行き渡り、日本が侵略したアジアの国々では、原爆が解放の象徴として語られることもある。原爆の記憶を、どうすれば国を超えて分かち合い、相互理解に近づくことができるだろうか。「記憶のケア」と題し、その方策を提案している広島市出身の川本隆史・東京大大学院教授(社会倫理学)に聞いた。
「実家(広島市西区己斐)の柱には被爆時に突き刺さったガラス片があった」と、自らの記憶も交えて語る川本さん
 日米双方には、それぞれの「原爆神話」が存在すると指摘できる。原爆の非人道性に目をそむけ、戦争の早期終結に不可欠だったとみる米国側の神話と、一種の天災のように受け止め、アジアへの侵略戦争の帰結でもあるという認識を欠いた日本側の神話だ。米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下機エノラ・ゲイ展示をめぐる論争でも、二つの神話の間の深い溝が浮き彫りになった。

 だが、双方の国民の中で原爆の記憶が一枚岩を成しているわけではない。詩人の栗原貞子は、その詩「ヒロシマというとき」で、被爆者としての「わたしたち」の視野に「パール・ハーバー」「南京虐殺」「マニラの火刑」を入れ、「〈ヒロシマ〉というとき/〈ああヒロシマ〉と/やさしくこたえてくれるだろうか」と問い掛けた。被害の記憶に加害の記憶を重ね得た例だ。

 米国にも、原爆神話に異を唱える市民や研究者が存在する。日韓関係史を専攻する韓国のある研究者は、中沢啓治の漫画「はだしのゲン」の韓国語訳の刊行(2002年)に触れ、被爆後の広島を傷つけられた人々の日常性から描くとともに、加害者としての日本も描いている点を評価した。

 こうした多元性に、記憶の共有、相互理解への可能性を見ることができる。「記憶のケア」とは、原爆の意味づけに関する神話=固定観念をほぐし、可能性を引き出すケア(世話、手入れ)のことである。

 具体的な手法を挙げたい。まず、名前と身体を持つ個人とそのつながりから出発することだ。大量虐殺によって歴史上の数字と化した犠牲者を、一人一人の名前で呼び返す。八時十五分で止まった時計や、家族を亡くした悲しみの手記などの「個人の物語」は、原爆神話という「公式の物語」を揺さぶり、破壊する力を持つ。

 「個人の物語」は、日本が侵略したアジアの国々にも無数にある。それらに出会い、加害の歴史を学ぶことも記憶のケアだ。

 対立、競合する複数の記憶から、部分的に重なり合う合意を探るやり方もある。秋葉忠利広島市長1999年、オランダ・ハーグでの世界市民平和会議で「戦争や紛争時であっても子どもは殺すな。この原則には、核兵器を必要悪だと思う者さえ賛同せざるを得ない」と講演した。こうした合意の積み重ねが大切だろう。

 脚本家井上ひさしの原作で、2004年に映画化された「父と暮せば」。被爆後の広島を舞台にしたこの作品は、まさに記憶のケアを描いている。

 生き残った負い目から「幸せになってはいけない」とかたくなになった娘の心を、被爆死した父の霊が解きほぐす。記憶のケアが紡ぐ希望をそこに感じた。
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