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  • 被爆死者数
爆心地から約1キロの木造家屋内で被爆した兵士。皮膚出血斑点や脱毛が見られる。撮影当日に亡くなった(木村権一さん撮影)
 「ヒロシマ新聞」にある「5万人以上が死亡」との記述は、あくまで原爆投下当日の推計、という前提に立っている。熱線、暴風、建物の火災と崩壊に加え、深刻な放射線障害をもたらした原子爆弾は、その後も多くの人命を奪い続けた。

 広島市長が1976年、国連事務総長に提出した文書は、1945年末までに約14万人(誤差プラスマイナス1万人)が死亡した、としている。平和記念公園(広島市中区)の原爆慰霊碑石室に収められている原爆死没者名簿には、なくなった被爆者の名前が遺族の申告などに基づいて毎年書き加えられ、2004年8月6日現在、23万7062人の名が記されている。
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 2005年8月6日発行 中国新聞労働組合 広島市中区土橋町7番1号 郵便番号730-8677
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