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  • 焼けただれ「水を…」
爆発から2分後、天に向かって盛り上がるきのこ雲(6日、安佐郡安古市町、神田橋の川原から松重三男さん撮影)
猛火、がれきのむ
「母が」「子が」悲鳴の渦


 全身焼けただれた人の群れ。子供も、夫人も、軍人も…。めくれた皮膚を垂らした姿は痛ましい。倒壊した家屋。病院も、学校も、官庁も…。すさまじい熱線と爆風が、容赦なく広島市を襲った。倒れた家のそばで、家族を捜して叫ぶ声がする。だがやがて、炎が街をのみ込み、黒い雨が降り注いだ。助けを求めて市内から脱出を図る人の列。水を求めて川に飛び込む人たち。川面は瞬く間に、死者で埋まった。かろうじて焼け残った病院や国民学校には負傷者が押し寄せた。懸命に治療をする医師と看護婦たち。彼ら自身も、傷ついている。薬品も足りない。避難誘導に当たる警察官。懸命に消火活動に当たる消防署員と警防団員。みんな絶望と闘っている。六日、広島は「生き地獄」と化した。
◇昭和町
 新型爆弾投下後、市内各所で発生した火災は強風にあおられ瞬く間に市中をなめつくした。昭和町の倒壊した民家では、梁の下敷きになった息子の母親が「誰か助けて」と絶叫。迫り来る煙の前に近づくこともできず「神様、仏様、助けてやってください」と手を合わせてうつろな目でつぶやいた。

 近くの大通りでは、五歳ぐらいの男の子が「母ちゃんを助けて」と泣きながら必死に避難者に叫んでいた。
◇稲荷町
 五歳ぐらいの女の子を連れて稲荷町を避難していた広島東署の善人章巡査部長(34)は「この子の父親が柱に足を挟まれていたが、炎が近付きとうとう助けることができなかった」と一瞬後ろに目をやり、先を急いでいた。
◇下柳町
 猛威をふるう炎は下柳町(銀山町)の芸備銀行下柳支店を借りている東警察署にも迫ってきた。八十五人の署員のうちがれきを乗り越えて集まることができたのは当直を含めて十数人。「署を守れー」。田辺至六署長の号令のもと防火水槽からバケツリレーで建物を救った。 

 たちこめる煙の中からは全身火傷で男女の区別もつかない被災者が次々と運び込まれてくる。玄関から廊下、部屋、裏庭はたちまち負傷者で埋まった。 

 火傷で背中の皮がめくれた人の「痛い、痛い」という声が響く。上岡雅巡査(24)は「情報は入ってこんし、物資は全くない。でも何かせにゃ」と、裂けた水道管から飛び出す水を器にくんで飲ませていた。 

 市内の警察三署のうち東署と宇品署は全焼や倒壊を免れた。西署は全焼し、署員、留置者の安否は不明だ。
◇白島地区
 爆心から最も近いところで約一・五キロの白島地区。逓信病院など数棟の鉄筋コンクリート造りの建物を除く家屋は倒壊、がれきから火の手が上がった。白島国民学校に常駐していた警防団員二百−三百人が、全滅したらしい。郡部から召集をかけられ、橋梁の警備に当たっていたものだ。 

 常磐橋には死体が並んでいる。上手の鉄橋では、貨物列車が横転し、枕木ととともに燃え上がっている。

 東白島派出所の巡査は「ピカーッと稲妻のような光がした後、地面を揺さぶるような爆発音。猛烈な爆風が吹いてきた」と言う。派出所周辺は火の海。「がれきの下から女性を救出しようとしたが、どうにもならなかった」と悔やんでいた。
◇鷹野橋
 市中心部の鷹野橋では午後六時ごろ、猛威をふるった火災が下火になった。建物のほとんどが上から潰され、がれきの山になった。焼け残った倉庫の鉄骨はアメのように曲がっている。電車通りには、骨組みだけが焼け残った電車が転がっていた。 

 人通りはほとんどなく、道のあちこちには炭のように黒く焦げ、体が膨れ上がった遺体が折り重なっていた。防火水槽にも火ぶくれになった遺体がある。生き残った人々も道端で体中黒く血まみれになり、うめき声をあげるだけ。救護活動はまだ始まっていない。

 中年男性は「家族がどうなったか心配」と遺体を避けるように行方不明の家族を捜していた。
◇上流川町
 爆心から東に約九百メートル、上流川町(胡町)の中国新聞社も壊滅的被害を受けた。社員百十三人を失ったほか、鉄筋コンクリート七階・一部十階建ての社屋は外壁を残すだけで、内部の施設は焼失・破壊された。新聞発行は当面、不可能。 

 この朝、建物には防衛当直や発送作業を終えて宿直室で仮眠していた社員のほか、ビル内にある同盟通信、広島中央放送局の加入課分室に出勤した職員らがいた。ビル内で死亡したのは管理部長ら三人。

 一方、爆心から約二百メートルの天神町(中区の平和公園内)へ建物疎開作業に出掛けた中国新聞社国民義勇隊の四十六人(同盟通信、毎日、朝日、読売の記者六人を含む)はほとんどが即死した。
 
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 2005年8月6日発行 中国新聞労働組合 広島市中区土橋町7番1号 郵便番号730-8677
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