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  • 電車も人も黒こげ
    広島駅は百人生き埋め

    (六日夜)
流川の電車通りで被爆し、丸焼けになった市電。(爆心地から約900m)
 横転し乗客ごと焼けてしまった電車、待合所の倒壊で下敷きになったまま焼死した女性車掌−。広島電鉄では、市内線を走っていた二十二両の電車が全焼し、本社は全壊、隣接の社員寮も半壊した。しかし、断片的な情報だけで、社員や乗客の死傷者数など被害の全容はつかめていない。

 被爆後、宇品から本社に帰ってきた運転士や自宅から駆け付けてきた社員によると、駅前を運行していた電車数両は、みな東に向け横転して全焼。中には真っ黒こげになった焼死体が重なっている車両もある。爆風と熱線にさらされ、横転と同時に火が燃え広がったものとみられる。

 また駅前では、南に向かって電車を誘導していた信号係の男性が、右半身全体に火傷をした。駅前周辺には皮膚をたらしたままの状態で座り込み、時間とともに避難場所を求めてやって来る人が増えている。

 社員寮で右腕にけがをした運転士西亀要さん(17)の話によると、十日市待合所では、動員学徒で車掌をしていた家政女学校の生徒一人が倒壊した待合所の下敷きになり、運転士が助け出そうとしたが、火災に巻き込まれて焼死したという。
 駅舎、運転室のほとんどを全焼、倒壊した建物の下敷きや火災により市民、職員ら多数が死傷した広島駅。山陽本線、芸備線、宇品線の運行もほぼ全面的にストップするなど、広島市内と市外を結ぶ拠点は、一八九四(明治二七)年の開業以来、最大の危機を迎えている。夕方になっても火はくすぶっており、死傷者数はさらに拡大しつつある。運転再開のめどは立っていない。

 爆風とともに、広島駅では木造待合室の上屋が転落、鉄筋造りの本館も屋根が吹き飛んだ。プラットホームの屋根、運転室、事務室も一部を除いて崩壊した。庶務室にいた庶務助役の三保芳登さん(38)は「窓枠、出入り口の扉もろとも吹き飛ばされた」という。宇品線のホームでも乗客が線路の上まで飛ばされた。

 列車待ちや出迎えの市民がいた待合室では、ほとんどの人が転落した上屋の下敷きになった。あちこちで助けを求める声が続き、職員や駆け付けた救援隊員らが負傷者を救出しようとしたが、はかどらなかった。午前十時ごろ、周辺から火の手が押し寄せ、待合室にも延焼。やむなく救出活動は中断、職員らはぼう然とした表情で、燃えさかる炎を見ていたという。本館にも飛び火した火災は、正午前までに運転室などほとんどの建物を焼き尽くした。

 当時、駅にいた職員九百二十六人のうち十一人が死亡、重傷五十人、中軽傷は百五十一人に上った。屋外にいたほとんどの人が熱線を受けて火傷、屋内にいた人は爆風や落下物で打撲しているのが特徴。けが人は客車一両に乗せ、海田市方面に走って、医師の手当てを受けさせた。市民の被害についてはほとんどつかめておらず、全焼した待合室には百人近い市民が取り残されたのではないか、という情報もある。

 火災は構内の列車にも広がり、客車四両、貨車十二両を焼いた。午前十一時ごろから海田市、向洋、西条方面、芸備線などへ分散して客車六十一両、貨車七十五両の列車を疎開させた。そのため、山陽本線、芸備線、宇品線の列車の運行は止まったまま。職員は焼失を免れた構内の列車に入り、被害の状況把握や再開に向けて話し合いを進めている。
 
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