ヒロシマ新聞トップ > 終わらぬ被害 止まらぬ核開発競争[記事]
  • 軍都だった広島
    大本営や総軍司令部

 原爆の標的となった広島市は、明治期から旧日本陸軍が拠点を置いた軍都だった。

 強兵政策を進める明治政府は廃藩置県後、広島城内に鎮西鎮台第一分営を置き、1873(明治6)年には全国六鎮台の一つに数えられる広島鎮台とした。88年には第五師団に改称。日清戦争の間は大本営が置かれ、宇品港は全国の兵士を大陸に送り出す拠点となった。

 以後、大正、昭和にかけさまざまな軍事施設が増強され、日中戦争、太平洋戦争でも海外侵略の重要な一翼を担った。

 太平洋戦争末期には、西日本一円を管轄する第二総軍司令部が二葉の里(東区)に置かれた。空襲に備えて市中心部の建物疎開が大々的に実施され、原爆投下の朝も、多数の学徒らが作業に動員されていた。爆心地に近い屋外での作業のため、膨大な犠牲者を生んだ。

 なお、「ヒロシマ新聞」に「県産業奨励館」と記された建物は現在の原爆ドーム。1996年、ユネスコの世界遺産に登録された。
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 2005年8月6日発行 中国新聞労働組合 広島市中区土橋町7番1号 郵便番号730-8677
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