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  • 原子爆弾と直感
    「きのこ雲に炎色反応」呉海軍工廠三井大佐

    (六日深夜)
米軍機より撮影した巨大なきのこ雲、1945(昭和20)年8月6日。人類史上最初の原子爆弾が広島市に投下された。約80km離れた瀬戸内海上空からの撮影 (撮影 米軍)
 米軍のB29が新型爆弾を投下した直後、原子爆弾と直感した軍関係者がいた。東大化学科の出身で、海軍の原爆開発研究にもかかわった経験のある呉海軍工廠火工部長の三井再男大佐。六日、全国でも最初の調査団を広島市内に派遣した。

 呉海軍工廠があるのは、広島市から約二十キロ南東。三井大佐は作業中にせん光を目撃したとき、変電所のショートと勘違いした。その後、近くの丘の上から、きのこ雲が立ち昇るのを見ていたとき、雲の一部に赤い炎色反応が出ているのに気づいた。

 「ストロンチウムの赤色に違いない」。三井大佐は以前、原爆開発に携わった際、原爆からストロンチウムが出ることを知ったので、原爆に間違いないと直感した。三十五人の技術士官から五人を選んで調査団を編成。すぐに広島市に向かわせた。

 調査団が帰ってきたのは午後十時ごろ。会議を開いて、爆弾の性質をめぐって議論を重ねた。この日、マリアナ放送が「広島にウラン爆弾を投下した。なお百発を保有している」と放送したことも紹介された。

 その結果、この爆弾は原爆との見方で一致。七日も調査団を派遣し、さらに検討を続ける。
 
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