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  • 消火作業に打撃
    2消防署が全焼

    (六日夜)
空を覆い尽くす黒煙。爆弾投下約一時間後。市中心部の大半に火の手が回った(宇品の陸軍船舶司令部から市街地を遠望、故・木村権一さん撮影)
 爆心から七百メートルの八丁堀、福屋の東消防署は壊滅的な被害を受け、七台あった消防車はすべて焼失。大手町の西消防署も庁舎が全壊、両署とも消火活動はまったくできなかった。

 市内十九消防出張所と四分遣隊のうち、爆心から約二キロメートル以内の、京橋、東白島、下流川、牛田、舟入、中島、吉島、皆実、三篠、十日市、の十出張所と市役所分遣隊、西警察署分遣隊の建物が全焼または全壊した。

 比較的被害が少ない矢賀、仁保、段原日の出出張所、日本製鋼所と東洋工業分遣隊は広島駅方面に出動し消火活動を行った。草津、己斐、江波、皆実、宇品、福島町出張所が、被災者の医療活動の本拠となっていた千田町の広島赤十字病院に延焼するのを防いだ。

 三篠町本町一丁目の三篠町出張所は爆心から千五百メートルにあり、木造二階建て、一部四階建ての庁舎は一瞬にして倒壊した。隊員数人と消防車二台が下敷きになった。十数人のほとんどの隊員が重軽傷を負った。その後の火災で建物は焼失、迫田勝消防曹長(27)は「正午に新庄橋で落ち合おう」と隊員を解散させたが、新庄橋に来ることができたのは二人だけだった。迫田さんは本署に連格しようと二隊の伝令隊を本署に向かわせたが「横川橋、三篠橋より先はもっとひどい」と引き返してきた。

 近くから火の手があがり、ポンプ車は動かなかった。自動車のガソリンに火がつき出張所は火災となった。どうすることもできず隊員を避難させた。

 昼からは西消防署と連絡をとるため本署に向かった。四時間かけ白神社前まで来たが、熱気、煙、倒壊した建物、クモの巣のようにたれた電線などで進めなくなり、やむなく引き返した。

 仁保出張所は爆心から五キロ離れていたため消防車三台が無事だった。三班に分かれ主に広島駅周辺の消火活動に当たった。熊野俊明消防手(25)は、「京橋以西は火の海」との報告を受け、五、六人でポンプ車で出動。初めに火が上がっていた段原国民学校に向かった。校舎は完全に倒れ、延焼していた。下敷きとなった子どもたちの「助けて!助けて!」という悲鳴を聞いたが、助け出す道具もない。消火のかいなく火の手は瞬く間に校舎を包んだ。
 
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