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  • 警察・消防機能せず
    比治山に臨時防空本部

    (六日夜)
本通りから爆心地の産業奨励館(後方奥)をのぞむ。一面のがれきの中、余じんがくすぶり続けていた(七日 岸田貢宜さん撮影)
 
 非常事態の対応を一手に引き受ける警察、消防も甚大な被害を受け、機能はまひ状態に陥った。生き残った幹部らが六日夕、臨時に防空本部を設置。救護や消防、警護活動を統括するため、活動を再開したが、関係機関との連絡もつかず、物資も乏しく、苦慮している。

 石原虎好県警察本部長は上柳町(上職町)の官舎で爆撃を受けた。軽いけがを負いながら、すぐ近くの東警察署(下柳町=銀山町)を目指した。しかしわずかの距離ながら火事のため行く手をさえぎられ、行き着けなかった。このため臨時の避難所になっていた比治山多聞院に向かった。同所に到着後、広島県防空本部の看板を掲げ、署員や幹部の招集を始めた。

 夕方になって、備後に出張していた高野源進知事、中国総監府の服部副総監ら約三十人が集合した。福山方面の空襲に備え、沼隈郡松永町に派遣されていた警備隊分駐隊の三十人も午後八時過ぎに合流。負傷者の救助や被害の全容解明を急ぐ活動に入った。

 通信施設は壊滅状態になったために午後八時半までに安佐郡原村(祇園町)の広島中央放送局中継所を通して内務省に無線で報告するとともに、中国、四国、近畿、九州などの近県に医師や医薬品の手配などを要請した。

 さらに同時刻ごろ、海田署を通して、県内各署に指令を出した。「広島市空襲被害は予想以上にひどく、救護班をできるだけ多く送れ」「食糧▽負傷者輸送のため貨物自動車▽ローソク、マッチ、四斗樽のような給水用具−などを至急送れ」「県庁職員多くが死傷し、指揮に支障、献身的な努力を払って欲しい」。各地方事務所にも連絡を求めた。

 市内では国泰寺町の県警察部や警察警備隊、大手町の西警察署、八丁掘の東消防署、大手町の西消防署などの関係施設は全焼。警察官や消防署員らも多数死亡したとみられる。

 また七月二日に広島入りしていた呉消防署の応援隊四十八人も被害にあったとみられる。

 宇品警察署はガラス窓など一部が破損しただけで、出動した署員が避難者の誘導や罹災証明書の発行などをした。東警察署も一時火の手が上がったが、署員らの手で消し止められた。

 市内各署は全滅状態で、わずかに残った署員が徒歩で周辺の署へ連絡。廿日市や可部、海田市、大竹、祇園署などから次々に応援部隊が詰め掛け、道路の復旧や被災者の誘導に当たっている。警察署などを結ぶ専用回線も不通となり、連絡業務に支障をきたしている。
 
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