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  • 科学者の反対 葬られる
    度々の請願 軍が阻止



    米首脳「早期終戦を優先」
 トルーマン米大統領は七日未明(日本時間)、広島市への原子爆弾投下について声明を発表、「戦争史上、これまでに使用された爆弾の中で最も大型」と、その威力を誇示した。しかし、極秘の原爆開発計画「マンハッタン計画」に加わっていたノーベル物理学賞受賞者で、シカゴ大治金研究所にいたフランク教授ら科学者の間に、無警告で投下することに反対する動きがあった。

 フランク教授や、シラード博士ら七人の科学者は一九四五年六月十二日、「政治的および社会的諸問題」と題する報告書をスチムソン陸軍長官あてに提出した。後に「フランク報告」と呼ばれたこの報告書は「事前の警告なしに日本に原爆を投下することは得策でないと考える」と述べ、実戦で使用する前に無人地域で実験を行い、世界に公開するよう要請した。

 また、「もしこの無差別破壊の新兵器を米国が人類の頭上に最初に投下するならば、全世界の人々の支持を失う」と原爆の持つ非人道性を指摘。さらに「もし核戦争の全面的防止に関する国際協定を至上の目標とし、それを達成できると信じるのであれば、このような形(原爆の無警告投下)で原子兵器を世界に明らかにすることは、われわれの成功の可能性をたぶん台無しにしてしまうであろう」と、第二次世界大戦後の軍と、第二次世界大戦後の軍縮への悪影響まで懸念していた。

 このほかにも、原爆の示威実験を公開で行うよう求める科学者の署名活動は、マンハッタン計画の中核にあったロスアラモス研究所(オッペンハイマー所長、ニューメキシコ州)、ウラン加工施設があったクリントン(現オークリッジ)研究所(テネシー州)などにも広がっていた。

 七月四日にはクリントン研究所の科学者が請願書を提出。また、三九年八月にアインシュタイン博士に働きかけて原爆開発を促す手紙を故ルーズベルト大統領に提出させたシラード博士は同十七日、科学者六十八人の署名を添えて、大統領あてに請願書を出した。

 請願書は「新たに解放された自然の力を破壊の目的で使用する前例をつくった国は、想像を絶する破壊の時代へとびらを開くことについて責任を負わなければならないでしょう」と、倫理的側面から原爆の無警告使用に異議を唱えている。

 マンハッタン計画には、欧州から亡命してきた科学者が数多く加わっていた。彼らは、「ヒトラーが先に原爆を手にしたら、大変な事態になる」という恐れから、原爆開発に携わっていた。それだけに、ドイツが五月に降伏したことで、原爆開発を正当化する根拠が揺らいでいた。シカゴ大治金研究所で七月十二日、原爆の対日使用に関するアンケー卜があった。それによると、科学者百五十人のうちの八五%が無警告での原爆投下に反対を表明している。

 こうした請願書は計十七通提出され、署名した科学者は計百五十六人に上っていた。しかし実際には、グローブス陸軍少将らが請願書を手元に置き、大統領には届かないように防害した。

 反対の考えは、科学者だけでなく、軍首脳の間にもあった。レーヒ提督、フォレスタル海軍長官、ストローズ少佐らが、原爆の使用に反対したり、保留の態度をとっていた。

 バード海軍次官が六月二十七日、ハリソン陸軍長官特別顧問に提出した覚書は、次のように述べる。「私はこの計画にかかわるようになって以来、日本に対して実際にこの爆弾を使用する前に、例えば、そのニ、三日前に何らかの事前警告を日本に発するべきであるという考えを持ち続けてきた。…ここ数週間、日本政府が降伏のきっかけとして利用しうる機会を模索していると、私はかなりはっきり感じている」
 
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